自分が駄目なことを境遇や他人のせいにするな







何何したい、とか、こうなりたい、と思うのだけれど、何等かの足を引っ張る要素があって

出来ない、という状態は人生には多い。

確かにそうなんだけどしかし、そのような足を引っ張る要素は障害と考えるのではなく、自

分の人生に与えられた条件と考えるべき、と私は思う。

例えば、貧乏な家に生まれたので生活の為に新聞や牛乳の配達をして家計を助けた、故に勉

強する時間が取れず、人生の競争において不利だったので云々、と今の誇れない状態の自分を

正当化する人がいるとすると、自分が駄目なことをそんなことを理由に正当化して何になるの

か、ハングリーをバネにして頑張り大きく成長した人は多いのに、と私は思ってしまう。

逆に例えば、裕福な家庭に生まれ育ったので欲しい物は何でも手に入ったものだから、どう

してもハングリーになれない、故に踏ん張りと頑張りが弱い、だから自分は○○になれなかっ

た、と今の駄目な自分を正当化して何になるのだろうか。

ちなみに前者は貧乏だったから駄目だったと貧乏を駄目な理由にしており、後者は裕福だっ

たので駄目だったと裕福さを駄目である原因にしている。人間という動物の手前勝手さ、とい

うところだろう。

これらのように、社会が××だから、とか、学校が××だったから、とか、先生が××だっ

たから、会社が××だから、上司が××だから、ひいては親が…、兄弟が…、等々と、自分が

満足できない成長状態にあることを他人や境遇のせいにするのは幼児性が高いからに他ならな

いと思うのだが、そして、それらは原因というよりも、自分の人生に与えられた条件であり乗

り越えられるか否かは自分次第と捉えるべき、と思うのですがどうでしょうか。

アフリカの貧しい国に生まれた場合やどこかの独裁国家に生まれた場合に比べると、日本に

生まれ育った我々は恵まれている、と言うと誰もが頷いて下さるだろう。だから少なくとも私

達日本人は自分を取巻く色々な境遇は自分が生きていく上での条件に過ぎないと捉え、自分の

人生が思う程上手くいかない場合でもその原因を境遇や他人のせいにすべきではない、全て自

分自身に原因があると考えるべきと思う。

 

以上